Satoshiアフリカ見聞録
目次
Vol1. Satoshi、ナイロビに到着
2019年3月5日、私は東アフリカのケニア共和国の首都、ナイロビに飛び降りた。朝6時前にナイロビの空港を出て宿へ向かう途中、車の窓ガラスからは、まだ薄暗い中多くの人々が未舗装の車道沿いを歩き、仕事場へ向かっている様子を目の当たりにした。基本的に信号のない道路を、子連れの親が、不安げなまなざしでどうにか渡ろうとしていた。朝の渋滞で運転手がイラついている中、バスや車が入り乱れる道路は排気ガスの臭いが漂い、車の中には、、、蚊が入ってきやがった。。。。
Vol2. Satoshi、キベラスラムを訪問
ナイロビに到着したその日、私は、アフリカ最大のスラムと言われるキベラスラムを訪問した。空港から宿に到着した私はすぐに支度をし、キベラスラムでビジネスを興そうと考えている日本人の男性Nに同行させてもらう形で、共にキベラスラムへ向かった。キベラスラムへ向かうタクシーの中で私は、旅の疲れから当然のことではあるが、睡魔に撃ち負けざるを得なかった。。いつの間にか到着したキベラスラムの入り口となる地域は、道端に商店が並び、市場のような様相を呈していた。南米パラグアイ共和国のメルカド・クワトロと呼ばれる市場を想起させた。市場では人々が早足で歩き交わっており、その一角にある商店で現地ガイドの方と合流すると、私たちはスラム街のある方角へ向かった。当然ではあるが人々の肌の色は黒く、日本人である私は目立ったため、たびたび、ニーハオ!と言われることがあった。キベラスラムには様々なビジネスが存在しており、最初は靴の生産現場を見学した。木材で出来た小屋のような大きさの建物の中で6人ほどの従業員が各パートごとに靴の部品を作っており、壁にはずらりと靴が並んでいた。合成革靴から、合成皮のサンダル、ビーズを用いたカラフルなサンダル、小学生向けの革靴まで、多様な靴を製造しているようであった。この規模の作業場で一日に製造できる量はざっと60足くらいと、従業員の一人は述べていた。。。。
Vol3. ケニアに来て良かった
その後私たちは、本格的にスラム街の方へ降りて行った。パラグアイのBañado Surと呼ばれるスラム地域においてもそうであったが、キベラスラムにおいても、スラム地域は周りの地域に比べ地理的に高度が低いところに存在していた。基本的に生活排水やごみなどが小川に捨てられる環境においては小川の上流地域の方が下流地域より有利であり、下流地域では洪水などが起きやすく、排水路にはヘドロのような廃棄物が溜まることなどに起因して、そのような配置となったのではないかと考察された。坂を下り、本格的なキベラスラムの入り口に達したところで私たちは、キベラスラム出身の一人の男性ミュージシャンであるハリー(仮名)と出会った。ハリーは私たちに向かって10分間ほど、ひたすらラップを披露してくれた。彼は、見ず知らずの私たちに対し、全く緊張を見せず自分の世界に入り切ったラップを披露した。これがこの道のプロか、と私は感じた。ハリーの着ているTシャツの胸の部分には、大きく二文字、「中 国」と書かれていた。この時私は、ああ、ケニアに来て良かった、と思った。
Vol4. 二度目のキベラスラム訪問 [2019-04-03更新]
3月9日、私は二度目のキベラスラムを訪問した。私を含めた日本人3名と、現地の方二名で行動した。この日は土曜日であり、土曜日は、キベラスラムにおいては掃除の日とされているようであった。朝9時ごろから教会に集まった人々は、その後各自掃除道具を手に、主にキベラスラムの排水溝の汚泥を取り除く作業を行った。明らかに石油のような油の混じっており黒光りしていたその汚泥は、強烈な悪臭を発しており、鼻がひん曲がりそうなほどであった。絶対に、あれに触れてはだめだ、という心の声が聞こえた。私は掃除には参加せず、近くで目を輝かせながらこっちを見ていた子どもたちと一緒に、写真を撮って過ごした。子どもたち、ありがとう。
Vol5. スラム内を回る[2019-04-05更新]
その後私たちは、壁が瓶で埋め尽くされた芸術的な家に案内された。その家には紙切れが用意されており、家を訪問した人々は、各々その紙切れにキベラスラムに住む人々へのメッセージを書き、瓶の口に放り込むのであった。私は、「みんあしあわせになーれ」と、記入した。どうか、みんな幸せになってほしい。その後は再び、スラム街を散策し、アクセサリー類を作る工場を見学したり、スラムの人たちと短い時間ではあったがサッカーをたしなんだり、スラムの中にあるビリヤード場を見学したりしたが、空腹が限界を迎えたと訴えると、ガイドの人はおいしくて安いローカルレストランへと私たちを案内してくれた。ローカルレストランでは、ビーフシチュー(分量は少なめであった)とチャパティー(薄いナンのような食べ物)の140Ksh(約155円)で、お腹を満たすことができた。私はとても、満足した。
Vol6. キベラの子どもたちが遊んでいる[2019-04-07更新]
ローカルレストランでお腹を満たした私たちは、キベラスラムの子どもたちが集まってパフォーマンスの練習をしている空き地を訪れた。空き地には小さなマットが引かれており、子どもたちはそれぞれ可能な技を披露した。爆中をする子供もいれば、側転をする子どももいれば、横向きの爆中をする子もいれば、できないよーって子もいれば、行くと見せかけてかわす子もいれば、突撃して見事なシングルアクセルを決めた大人もいた。楽しそうだった。その後、同行していた現地の人の一人が、大勢の子どもたちを円にして、何やら楽しそうな遊びを始めた。私は、めずらしく、遊びには参加せずに周りから写真を撮っていた。キベラスラムには基本影は少なく、日光が直射しており、かなりの暑さを感じさせた。私の他にも若干名、遊びに参加せず、周りで思い思いに過ごす子どもたちが存在した。端っこの方にいた一人の男の子は泥水で、おもちゃの車のようなものを洗っているようであった。私は、遊びの輪に参加したいのかなと思いつつその子のことを観察していると、その子は突然立ち上がって近くの急な坂を下って行った。私は、そんなところを下れるのかと思い、少し後から彼の下った方を覗きに行くと、下ったところにある木に回り込み立ちションをしていた彼と目が合った。
すまなかった、少年。
Vol7. エリトリアレストランへ[2019-04-10更新]
3月12日夜、私は日本人の同僚と共にアスマラレストランというエリトリア料理店に赴いた。道中には、2014年に大規模なテロが起きたことで有名なWestgate Mallというショッピングモールを通った。それは、ただテロ現場を通ったということではなく、テロの起こりうる場所に自分が住んでいるということを私に実感させた。ちなみに、エリトリア料理には、インジェラという(日本人にはぞうきんと呼ばれる)食べ物があり、炭水化物であるにもかかわらず、独特な酸味を放っていた。一体どのような経緯で、このような食べ物は、生み出されたのであろうか