現場主義と命のはざまに
- 2020.09.20
- Satoshi377 社会問題

これは、僕が2019年5月に、ケニア共和国で書いた文章である。
現場主義と、命の大切さについて感じたことを書いた。
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国際協力という観点から言えば、現場の状況を知っているかどうかは、全ての基礎と言って過言ではないし、現場を知ることは何より大切である、と私は考えてきた。
それは、現場・現地の人々の文化や環境などを十分に把握することのないまま一方的な「支援」を押し付けてさらに現場の状況を悪化させてきたようなケースが証明していたし、そもそも現場の状況を知らないで、いったい何ができるのか?と考えてみれば、歴然としている。そう思っていた。
大学時代、国際協力の勉強をしていた私は、パラグアイ共和国を長期で訪れ、現場に長期間滞在し、現場の状況を肌で感じ、現地の人々と話すことの大切さを身をもって感じたし、そこで得た学びはそれまでに座学で学んだ、現地に関する全ての情報を簡単に凌駕していたようにすら感じた。
そういった意味で、僕はアフリカがどうなっているのか、より危険とされる地域の現状は一体どうなっているのかを知りたくて、アフリカに来た。ケニア共和国である。
しかしそこで感じたのは、一定以上の危険度を持つ地域に、「現場を知るため」という理由だけで訪れるのは、あまり採算が合わないのではないかということだった。当然なことではあるが、私たち人間のライフはたった一つしかない。死んだら、終わりである。
正直言えば、僕はやりたいことをやって死んでも、個人的には何ら悔いは残らないのだが、親や、家族など、身の回りの人々を悲しませるのだけが心残りとなってしまう。
僕は、危険を冒すなら、失うものの少ない若いうちだと思って生きてきたのだが、それでもやっぱり失うものはあるということに、以前気づいてしまった。
では、あまり危険な場所にはいかずに、そこそこ困っている人の手助けになるような活動をするというありきたりな結論に至ってしまってそれでいいのか?
それこそ、今世界ではびこっている潮流と同じで、本当に危険な地域・本当に困っている人のいる地域には『危険だから』という理由で立ち入ることができなくなり、僕自身が『このままじゃいやだ』と思ったものと同じになってしまう。
そこで考え、出た結論としては、紛争やテロリズムに関しては、まずは現場について知識のある人々とネットワークを築き、それをもとに、現場に行くなりしつつ、より問題の根源に対処する方針が必要になってくるのではないか、ということである。
何が問題を起こしていて、それを止めるにはどうすればいいのか?
それが問われなさ過ぎている。
僕はニュースやTwitterにおいて各紛争地域の惨状の知らせを見ていると
「こんな悲惨なことがあっていいのか」
といったメッセージをよく目にする。
それは確かに、現状を知らない人に知らせるのに、有効である。が、それ以上の何でもない。
それらの情報は拡散されるし、
幾度となく同じ人のもとに届く。
しかし、その度についてくるメッセージは、
「こんな悲惨なことがあっていいのか」
「許せない」
などで止まっている。
紛争地域の惨状を知らされた人々は恐らく、最初は
「こんなのありえない」
「止めなければならない」
と思い、少なくともリツイートなどによって拡散し、それで満足する。
そしてそれが繰り返される。。。
もちろん、これ自体を否定する気持ちは、全くない。
むしろ、やらないよりは1000倍良いと思っている。
でも一体、紛争の惨事というけれど、
どうしてそんな状況が起きていて、具体的には誰(何)が悪いのか?
僕自身、誰が悪いのか?といった議論は好きではないが、それがあまりにも問われなさ過ぎている気がする。
そしてそれは恐らく、誰にも分かっていないからである。
現場に行くと死ぬかもしれない、ニュースを見ても、問題の本質が分からない、
じゃあどうするか、、
知っている人に聞くしかない。
紛争地域にかかわりのある人とコミュニケーションを取っていく、かかわりを作っていく、
結局大切なのは、人とのつながりである。
だから僕の中で出た一先ずの答えとしては、先ほどにも述べた、
紛争やテロリズムに関しては、まずは現場について知識のある人々とネットワークを築き、それをもとに、現場に行くなりしつつ、より問題の根源に対処する方針が必要になる
ということになる。
P.S.
別に僕は、大したことをしているわけでもない(というか特に何もしていない)し、毎日8時間以上たっぷり眠って昼寝もしてゆったり暮らしている。ただ暇で、頭の中に浮かんできたことを書いた文章である。
それでも、現場の状況を知ることがすべての基本の上で、現場に行くと致死率が高い地域/最も困っている人々がいると思われる地域の状況を知るにはどうすればいいのか?という命題について、一先ず答えが見えた気がして、嬉しかったから書いた。
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