「マイペース」という言葉が「ゆっくりしている」と同義で使われる背景には、みんながマイペースではいられないという社会構造が現れているのではないか
- 2019.05.13
- Satoshi377
突然ですが、僕はよく「マイペースだね」と言われます。
僕のことをご存知の方は、だいたい「うんうん」とうなずかれるのではないでしょうか(笑)
僕は大体、「良く分かりましたね」と返しています。
しかしあるとき、僕は思いました。
マイペースという言葉が「自分のペース」という意味なのであれば、
マイペースでない方がおかしくないだろうか?
また、こうも思いました。
マイペースという言葉は、「ゆっくりしている」という意味でも使われるけど、
ということは基本的にみんな、せわしなく生きているのだろうか?
もしかしたらどうも、そうなのかもしれない。。
ちなみに僕は、自他ともに認めるマイペースです。
恐らく、僕がマイペースでなければ、地球上に存在するマイペースpeopleは激減するでしょう。
睡眠時間も、八時間以上しっかりとって昼寝もします。
ちなみにある一曰く、僕みたいにゆっくり寝れて、ゆっくりすごせる人は生物学上最強らしいです(知らんけど)
というわけで、現状の「マイペース」という言葉の使われ方から、
多くの人々が基本的に「マイペースでいられない」「ゆっくりできない」
状態にいる可能性が高いということが分かったので、
マイペース代表として僕は、これからも正々堂々とゆったりマイペースに生きていくことを、
ここに誓います。
はやく「マイペース」が当たり前になって、
みんながゆったり過ごせる世界になったらいいですね。
以上、謎文章でした(笑)
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