「マイペース」という言葉が「ゆっくりしている」と同義で使われる背景には、みんながマイペースではいられないという社会構造が現れているのではないか

「マイペース」という言葉が「ゆっくりしている」と同義で使われる背景には、みんながマイペースではいられないという社会構造が現れているのではないか

 

突然ですが、僕はよく「マイペースだね」と言われます。

僕のことをご存知の方は、だいたい「うんうん」とうなずかれるのではないでしょうか(笑)

 

僕は大体、「良く分かりましたね」と返しています。

 

しかしあるとき、僕は思いました。

 

マイペースという言葉が「自分のペース」という意味なのであれば、

マイペースでない方がおかしくないだろうか?

 

また、こうも思いました。

 

マイペースという言葉は、「ゆっくりしている」という意味でも使われるけど、

ということは基本的にみんな、せわしなく生きているのだろうか?

 

もしかしたらどうも、そうなのかもしれない。。

 

ちなみに僕は、自他ともに認めるマイペースです。

恐らく、僕がマイペースでなければ、地球上に存在するマイペースpeopleは激減するでしょう。

 

睡眠時間も、八時間以上しっかりとって昼寝もします。

ちなみにある一曰く、僕みたいにゆっくり寝れて、ゆっくりすごせる人は生物学上最強らしいです(知らんけど)

 

というわけで、現状の「マイペース」という言葉の使われ方から、

多くの人々が基本的に「マイペースでいられない」「ゆっくりできない」

状態にいる可能性が高いということが分かったので、

 

マイペース代表として僕は、これからも正々堂々とゆったりマイペースに生きていくことを、

ここに誓います。

 

はやく「マイペース」が当たり前になって、

みんながゆったり過ごせる世界になったらいいですね。

 

以上、謎文章でした(笑)

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