人と記憶とミーム学~人間は存在し続ける~

人と記憶とミーム学~人間は存在し続ける~

こんにちは、Satoshiです。

最近人類学とかの勉強をしています。

 

今回は、人間の存在について考えていきたいと思います。人間が存在しなくなるとはどういうことか?ということを突き詰めて考えていったときに、極論を言えば人間は死ぬが、存在はし続けるのだということを述べていきます。

 

まず、人間の存在と生について考えましょう。人間の存在は、以下の三つに分けて考えることが出来ます。

a 身体の存在

b 精神の存在

c 記憶の存在

 

まずこのa身体の存在については、最も広く行き渡っている説であるように思われます。

身体機能が存在しているから、人間は生きている。

ただこの場合、脳死状態などがネックになります。はたして脳機能が停止してしまった人は生きていると言えるのか?

 

次にb精神の存在については、

精神機能が存在しているから、人間は生きている

とするものです。

この説は簡単ながらも脳死状態に説明を加えています。ただし、睡眠状態を「死んでいる」と述べないで良いように、

精神機能が作動しうるから、人間は生きている

とした方が正確かもしれません。

 

個人的にはこれが最も「生死」の定義にはふさわしいような気はしますが、a身体機能の存在もまた、生物学的には最もふさわしいと捉えれるため、脳死状態については単に、生物学的には生きているが、精神的には死んでいる状態として良いと思います。

 

それでは最後の、c記憶の存在に移りたいと思います。

そもそも私たちの死について考えていくときに、私たちが死んだ後に世界に残るものは何でしょうか?

 

私たちは以下について考えながら生きる必要があります。あなたとあなたの死後の世界について

①あなたが存在している状態

⇒あなたは存在し、過去のあなたの記憶が世界に影響を与えながらも、今後のあなたは異なる影響を世界に与えることが出来る

②あなたの記憶が存在し、それが世界に影響を与えている状態

⇒あなたの存在が与えた記憶が世界に影響を与え続けている状態で、あなたに関して残ったあらゆる記憶や記録が、世界に影響を及ぼし続けている

③あなたが影響を与えた世界が自走している状態

⇒あなたに関する記憶や記録はもうすでに世界に存在しないが、あなたが与えた影響が反映された世界が自走し続けている

 

このように分類した場合、歴史上の多くの人々は③の状態に分類されると思います。③の人々の記憶や記録はもうすでに無いものの、彼らが存在しなければ今の世界は無かったと言えます。

主に記憶⇒記録の順番で人々は世界から離脱していくのですが、現代の、インターネットが存在するこの世界においては人々に関する「記録」を残すことがより容易になっています。

つまり、②の段階で生き続けることができる人が増えているのです。

誰でも、その人の記録が残り続け、人々に影響を与え続ける社会がもう到来しているということです。

Translate »