貧困問題について
- 2019.01.24
- 社会問題

貧困問題について
知らない人にも知っている人にも分かりやすいように書きたいと思う。
まず貧困とは、溜め(余裕)がないこと。
金銭的余裕
物質的余裕
精神的余裕
人間関係の溜め
などである。
もちろん、お金は大切である。
しかしお金がなくても、助けてくれる人がいれば、再び経済活動を行えるようになる。
次に、貧困は自己責任ではない
自己責任論は、条件が全く同じだと仮定したときにはじめて使える。
では質問である。
人はみんな同じ条件で生まれ育つか?
答えはNOである。
また、貧困は再生産される。
貧しい家庭からは育った子供が高等教育を受けるのには、壁がある。
生活保護受給家庭の子どもは、世帯分離を利用しない限り大学に進学できない
というのを知っているだろうか?
ちゃんちゃらおかしな話だ。
ごみだね。この制度ごみ。
で、貧困が再生産されるのにはもう一つ、大きな流れがある。
それは、貧困の文化である。
貧困の文化とは、貧しい人の周りで育つことで、
貧しい人の過ごす人生にしか触れずに育ってしまうことにより形成される文化である。
これが実は貧困の再生産の一番の要因である可能性がある。
貧困問題とはなんであるか?
貧困問題とは、資本主義社会の負け組問題であり、搾取される構造の中でしか生きるすべを知らない人々が勝ち組にのし上がることはいたって難しいという問題である。
資本主義社会で勝ち組に上がるには、どこかしらで搾取する側に回る必要があるように思えるが、実は資本主義社会においては負け組でも、あらゆる人生の豊かさで勝っている人々も存在する。
この社会で最終的に人々が目指すべきゴールは、資本主義社会における勝利と虚構の幸福ではなく、自らがやりたいことをひたすら行いながら生きていけることであると私は考える。
構造上は確かに損得は存在する。あらゆる被雇用形態や消費は、搾取されていると考えることもできるが、その被搾取以上の価値を見出すことができれば、それは無駄などではない。しかしながら、被搾取以上の価値を見出せるようには、人間は最低限努力する必要があるのかもしれない。
そして、貧困によって後が無くならずに済む最低限必要な条件は、
人とのつながりと、
自由であること
であると考える。
自由であることとは、
プライドを捨てること
失敗を恐れないこと
やりたいように行動できるその自由さである。
人一人の人生なんて実はちっぽけである。
しかし、可能性は無限大とは言わないが莫大には存在する。
あなたの心がゲームのプレイヤーで、あなたの体がゲームのキャラクターだと考えれば分かるはずだ。
可能性は莫大だ。
でも、その可能性を拒むものもある。
それは、体力的な限界であったり、
精神面での限界であったり(HP)
見栄や、プライドだったりする。
そしてこの中で一番手ごわいのが見栄やプライドである。
もし筆者が、坊主にしろと言われたら、、
嫌だ
というだろう。
でもどうだ?
このまま坊主にしないで生きていくよりも、
一度坊主にしてみて何が起こるか試してみた方が、
実は人生豊かにならないか?
分かっているんだけど難しい。
それが見栄であり、プライドである。
こいつらが邪魔なんだ
後で振り返って思いっきりおもしろい人生にするためにはね。
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